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喜怒哀楽

ミニマリストの危険性について

引っ越しする度に多くの荷物を梱包するのが面倒だったのと、使わないものを取っておくのも意味がないと思い、断捨離したことをきっかけにほんの少しミニマリストになっていた時期(今も荷物は少ないほうですが)があります。

メリットも大きいぶん、やりすぎると自身の個性や好きなものを失いかねない危険性を孕んでいるため、今回はそのことについて書きたいと思います。


メリットは大きい

どこまでをミニマリストと定義するのかは難しいところですが「極力少ない荷物で不自由なく生活をする」という程度であれば、メリットはたしかに大きいです。

たとえば本はすべて電子書籍にする、所有しているDVDはすべて売ってしまい動画配信サービスで視聴する、ゲームもパッケージ版は売ってダウンロード版で買い直したりなど、これらは物理的な所有からデータに切り替えたことにより、物を減らしつつも本質は変わっていないですよね。

実際に僕はこれらの方法で荷物をだいぶ減らしました。

部屋が広く使える、引っ越しの時の荷造りと荷解きがラク、売ることで懐も暖かくなります。

物を減らす = 無駄をなくすことなので、今度は時間やお金の使い方の無駄も無くしたくなるのです。

僕の場合、むやみに物を買うことがなくなりました。

ゲームをやめて英語の勉強をはじめました。

いかに時間を効率良く使うか、いかにお金を使わずに楽しむことができるか、まるで仙人みたいな生活を好むようになります。

ここまで聞くと良いことづくしのように見えますよね。

でもそこには落とし穴がありました。


人生がつまらなくなる

僕は大好きだったゲームや漫画をごっそり売ってしまいました。

なかにはいわゆるレア物で高値で売れるものもありました。

それで得たお金や時間を自己啓発本、英語の勉強や筋トレなどに使っていました。

ふとある時、ガランとした部屋を見てなんとも大きな喪失感に襲われました。

その殺風景な部屋を見て、空っぽな自分が際立つ感じがしたんですよね。

読みたい漫画を買う、やりたいゲームを買う。

そんな当たり前のことを我慢し続けた結果、自分の好きなものがよく分からなくなりました。

流行り物に対してもお金も時間も勿体ないからと敬遠し、まわりの人と話も合わず、どんどんつまらない人間になっていきました。

大事にしていたスプラトゥーングッズ
大事にしていたスプラトゥーングッズ

写真は大事にしていたスプラトゥーングッズです。

これも手放してしまいました。


無駄は幸福そのものだった

そう考えると、無駄というものが幸福そのものだったんだなあと気付かされました。

無駄だと分かっていてもゲームに熱中したり。

無駄だと分かっていても夢を追いかけたり。

無駄だと分かっていても好きな人に恋をしたり。

そっちのほうが物凄く人間味が溢れていて素敵ですよね。

一切の無駄を削ぎ落とすと骨と皮しか残りません。

無でした。

なので、無理にミニマリストにならず、自分の大切なものの無駄は残しておいた方がきっと幸せになれます。


終わりに

とはいえ、物が減る(主に娯楽で使う物)と「集中すべきことに集中できる」というメリットはあるので、目標に向けて動き出したい時の断捨離程度にするのは良いかもしれません。

「やることはそれしかない」という状況を強制的に作り出せますしね。

こんなことわざがあります。

屋上屋を架す(おくじょうおくをかす)

屋根の上に屋根を架すという無駄なことを表すことわざです。

でも屋根の上に屋根ができたら面白いので良いと思います。

そういう無駄こそ楽しいもんです。

今回は短いですが、このあたりで終わりたいと思います。

少しでも参考になりましたら幸いです。